宮崎駿監督が手がけたジブリ作品『風立ちぬ』がありますが、この作品には原作となる堀辰雄先生の小説をはじめ、堀越二郎の歴史を基に製作された経緯があります。

 

堀辰雄先生の小説の構成では、「序曲」、「春」、「風立ちぬ」、「冬」、そして「死のかげの谷」の5章にわけられていますので、それぞれのあらすじを紹介していきたいと思います。

堀辰雄による『風立ちぬ』の原作について。

 

堀辰雄先生による『風立ちぬ』は、1938年に刊行された作品です。

 


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よって半世紀以上の昔の古さとなりますが、不朽の傑作となることから、今でも読書感想文としても用いられることになります。

 

値段も390円でお安くなっていますし、またページ数も233ページと長すぎないことも、支持される理由となりましょう。

 

『風立ちぬ』のあらすじについて。

風立ちぬ

 

それでは本題となる『風立ちぬ』のあらすじになります。

 

序曲

夏の終わりに差し掛かるころ、「私」と節子は、白樺の木蔭に画架を立てかけ、2人で休んでいた。

 

「風立ちぬ、いざ生きめやも」(注 ポール・ヴァレリー詩『海辺の墓地』の一節「Le vent se lève, il faut tenter de vivre」を和訳したものの。「風が起きた、生きることを試みねばならない」の意

 

「私」がふとそんな詩を口ずさむ。

 

その後2、3日すると節子の父親が迎えに来て、その場を去ることになるが、「私」が生活の目途が立ったら、節子をめとろうと思う。

 

それから2年後の3月、「私」は結核を患う節子と結婚する。

 

節子の結核は重くなるばかりで、節子の父は「私」にK原のサナトリウムへ転地療養を相談し、「私」もついていくことになる。

 

4月のある午後、2人で散歩中に、節子は「私、なんだか急に生きたくなったのね……」と言い、それから小声で「あなたのお蔭で……」と告げてくる。

 

「私」は、2年前の夏ごろに口ずさんだ「風立ちぬ、いざ生きめやも」が浮かび、再び生きようとする、切なくも楽しい日々を過ごすことになる。

 

そして医師の診断では、節子の結核が芳しくないということを告げられ、「私」と節子はK原のサナトリウムへ向け汽車を走らせることになる。

 

風立ちぬ

病院では、節子は2階へ入院し、「私」は付き人用の側室に泊り、共同生活が開始する。

 

医師からレントゲンを見せられ、病状の中でも2番目くらいに重症と診断を受ける。

 

加えて、夏の暑さにより食欲減衰、睡眠も十分とれず、ますます病状が悪化していく。

 

やがて秋になると、多くの患者が死に(自殺含む)、次は節子の番ではないかと、否応もない不安と恐怖を感じることになる。

 

節子の父が見舞い後、危篤の状態にあったものの、何とか峠を越え、回復に向かうことになる。

 

「私」は、節子のことを小説に残そうと告げ、節子は同意してくれ、執筆活動が始まることになる。

 

1935年の10月、「私」は、小説を執筆するものの、この物語の終末、結末を書きあぐねていた。

 

彼女の物語が、決して望むべくものにならないという恐怖に囚われていて、また悲しみも募る思いとなる。

 

節子はかねてより、2人でいる時間に満足しており、家に帰りたいと思ったことはないと言っていたが、冬にかけて、山肌に父の幻影を見るまでに衰弱することになる。

 

ふと「私」が「お前、家へ帰りたいのだろう?」と問うと、節子は「ええ、なんだか帰りたくなっちゃったわ」と返事をする。

 

死のかげの谷

1936年12月1日、3年ぶりに「私」は、節子と出会ったK村に来た。

 

雪の降る中、借りている山小屋で去年の節子のことを夢想する。

 

今もこうやって「私」が生きられるのは、節子の愛に支えられているためで、生きる余韻にひたることになる。

 

『風立ちぬ』の感想について。

生きねば

 

小説の中でも、いわゆるバッドエンドに近い『風立ちぬ』になりますが、太宰治の『人間失格』ほどではありませんが、後味はあまり良くありません。

 

しかしながら、「風立ちぬ、いざ生きめやも」にあるように、病気という厳しい状況下であろうと、生きる意志がしっかり見えている点や二人の充実した愛がはぐくまれる点は、穏やかな気持ちにもなり得ます。

 

そんなアンビバレントな感情を一つの作品にした堀辰雄先生の作品に感銘を受ける次第です。