映画『葛城事件』が6月18日(土)に劇場公開されることになりますが、

本作は実話を基に制作されたとの話があります。

 

確かに原作小説を基にした映画もいいですが、

リアルさからやはり実話を基にしたものはとにかくすごいことになろうかと思います。

映画『葛城事件』のあらすじやPVについて。

 

ひとまず『葛城事件』の概要、あらすじをご紹介すると、

葛城清を家族の大黒柱とした4人家族が、崩壊し、

そして次男が無差別殺傷事件を起こすまでの物語となります。

 

葛城清は、金物屋を営む人物で、妻の伸子、長男の保、次男の稔を家族に持ち、

念願のマイホームを手に入れている、まさに理想的な家族となります。

 

しかし、葛城清はあまりに理想を追い求めていたことから、

次第に締め付けがキツくなり、抑えが効かなくなります。

 

長男の保は非常におとなしい性格で、

会社にリストラされたものの、誰にも打ち明けることができずにおり、

また次男はフリーターで、しかもアルバイトが長く続かないことに対して、

清からうるさく言われていることになります。

 

そんな状況に妻の伸子は、夫から抑圧もあり、何も言い出せない状況でした。

 

重く苦しい家族生活で、徐々に歯車が狂いだし、

次男が無差別殺傷事件を起こすに至るというものです。

 

以下簡潔にまとめたPVとなります。

 

 

確かに葛城清は、直接の加害者というわけではありませんが、

それでも事件を引き起こす発端を与えたことになります。

 

非常に難しい、現実に起きた事件をこうしてスクリーンで、

再現するというのは、出演キャストはじめ監督共々大変でしょうが、

ともかくすさまじい仕上がりになっていそうですね。

 

宅間守の附属池田小事件について。

 

さて『葛城事件』の元となっているのは、実話の事件となりますが、

これには宅間守元死刑囚が深くかかわっています。

 

実話の事件では、 附属池田小事件と呼ばれるもので、2001年6月8日

大阪教育大学附属池田小学校で小学生を無差別殺傷したものになります。

 

宅間守元死刑囚が保持していた包丁で次々に小学生を刺し、

死者8名負傷者15名と凄惨な事件であります。

 

宅間守元死刑囚ですが、裁判で死刑を言い渡され、

2004年9月14日に死刑が執行されることになります。

 

宅間守元死刑囚の事件と映画の繋がりについて。

 

さてこの実際に起こった事件と映画の関連性について紹介したいと思います。

 

具体的には以下の点で、類似点があるとされています。

 

  • 父による暴力といった支配
  • 精神科への通院歴
  • 被告の死刑判決
  • 獄中結婚
  • 長男の自殺

 

まず実話の事件では、父だけでなく、その家系は非常に厳かなものであったらしく、

厳しい過程でそだったことがあります。

 

父が家庭を持つと、代々の家系通りに厳しい教育を施したようで、

それが暴力となり家庭を支配することになります。

 

次に宅間守容疑者ですが、兄以上に暴力を振るわれていた様子で、

精神を病み、通院と入院をしていた経緯があります。

 

事件を起こした日には、大漁の抗精神薬を服用していた話があり、

その点で責任能力の有無が争点になっています。

 

しなしながら、裁判での精神鑑定の結果、責任能力が認められ、

死者8名にも上ることから、死刑が相当と言い渡さます。

 

実話の事件では、判決が下った1年後に死刑執行がなされるわけですが、

その間に宅間守元死刑囚は獄中結婚を果たしています。

 

死刑が確定しているため、結婚したとしても、

大きな意味をなさないことがありましょう。

 

それでも結婚した女性が死刑廃止団体に所属することが関わっているとされますが、

真相は闇の中とされているところです。

 

なお残された家族ですが、弟が精神科に入院した時期に兄が自殺し、

また母親が統合失調症を併発し、精神科に入院していたりします。

 

また父になりますが、現在でも生きているとされていますが、

詳しい状況、状態についてはプライバシーの関係上、明らかにされていないようです。

 

『葛城事件』で実話がどのように活きるのか。

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出典 http://eiga.com

 

宅間守元死刑囚が起こした附属池田小事件ですが、

それを想起させるような演出が『葛城事件』でなされているように思います。

 

事件発生からかれこれ10年以上経過したことから、

もう印象に残ることのないものになりましょうが、

この映画を機に再び脚光を浴びることでしょう。

 

テーマとして家族があり、なかなか難しい問題が積み重なった末に起きたもので、

これをどう解釈するかは、視聴者の判断に委ねられているでしょう。